斑尾高原ホテル 飯山

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 高野辰之記念館、高橋まゆみ人形館・彫金・蒔絵 飯山市近郊の文化・伝統工芸、歴史探訪

高野辰之文化、歴史探訪(高野辰之、木島平の和算、高橋まゆみ人形館)
斑尾高原ホテル周辺には文化的な歴史や文化財、無形文化財が沢山あります。高野辰之記念館高橋まゆみ人形館があります、その他に興味深いのが無形文化財の数々です。斑尾高原麓近隣にて開催される里山祭りには、歴史が刻まれた無形文化財には伝統芸能の魂が受け継がれています。

飯山寺の町の理由は飯山城の影響もあり、信州の小京都飯山の歴史めぐりも興味深いものがあります。川中島の合戦を舞台にした武将の攻防が飯山城に与えた影響や奥信濃三大修験道でもあった小菅についてもご夫婦で歩いてみるのも良い事だと思います。

飯山市には、室町時代以来から続く仏教信仰の関与から漆や箔などの繊細な細工に適し、適度な湿度と空気に恵まれている風土から、300年前から仏壇作りが盛んに行われてきました。 漆塗り、蒔絵、金箔細工、金物など、熟練した職人の技で丹念に装飾が施されています。

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飯山菜の花 朧月夜 唱歌 高野辰之

■文学探訪
高野辰之斑尾高原麓、豊田・飯山IC近くには、国文学者の高野辰之記念館があります。車で15分の場所にある高野辰之記念館、車で20分程の高橋まゆみ人形館へはお時間があったら足を運んでいただくと里山の良さを更に深めていただけると思います。
国学者高野辰之は、『兎追ひしかの山、小鮒釣りしかの川』などの唱歌を多く世に送り出しました。全国各地の学校校歌も多く皆様のご出身の学校校歌も高野辰之作詞のものかもしれませんね。
野沢温泉にも高野辰之記念おぼろ月夜の館がありますが、晩年を過ごした地でもあります。

高野辰之の父、高野仲右衛門は非常に礼儀正しく、自分の家の近くで訪れる客の足音を聞くと、常に用意してある羽織を来て玄関前に正座して丁寧に来客を迎え、裃の右衛門とよばれるほどの人物でした。高野仲右衛門自信も小布施の高井鴻山にて通い弟子として学び地域に貢献した人物です。
辰之は父仲右衛門が創設に尽力した永江小学校に通い、卒業後に飯山町の高等小学校に7キロの道を自分より大きな風呂敷包を背負い、腰に予備の草履をつけて通ったそうです。辰之のこの後ろ姿を見た父、仲右衛門は、自身が小布施迄農業をしながら、高井鴻山の元に通った頃を思い出していたかもしれませんね。

辰之の飯山に通った道に『かの山』、『かの川』があります。一説では東京の川をモデルとしたとも言われていますが、実際の記念館から見える山々や近くの小川を見ると、ここがその地で有り、兎を追った山や小鮒を釣った川があることが理解できると思います。更にこの道を飯山町に歩くと当時の菜の花畑が見えるような丘があり(現在の道路脇)ます。春飯山市では、菜の花祭りを大々的に開催いたしますが、唱歌の菜の花畑は、きっと辰之の生家から飯山に通った道沿いにあったものであろうと思われます。
辰之が見た当時の菜の花は、現在の菜の花と違い菜種油の菜の花であったと考えられます。現在は、野沢菜の菜の花が一面黄色に染め、桜の季節に一斉に飯山市全体を筒も混みます。辰之は、菜の花の畑の中を歩き、その先には千曲川が流れる光景を見ていたことが察せられます。 現在、辰之生家近くの橋には、故郷の一節になっている柱を叩くと音が奏でられます。辰之が通ったこの道、かの山、かの川を眺める場所にありますので、当時の景色を辰之と同じ目線で見ることができるでしょう。
15歳 母校永江小学校代用教員として勤務
21歳 長野県尋常師範学校卒
28歳 文部省属官
35歳 紅葉
36歳 3月 春が来た
12月春の小川
38歳 故郷、朧月夜
近松門左衛門全集や江戸文学史などの著書も多い 

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人形館 ふるさとの風景が感じる高橋まゆみ人形館

高橋まゆみ人形館2010年に飯山市在住の人形作家 高橋まゆみさんの「高橋まゆみ人形館」がオープンしましたどこか昔に見た懐かしい雰囲気とほっとする作品は、飯山の風景にも似ています。

昭和の風景がジオラマとなりほほえましい作品は、心和ませてくれます。飯山お越しいただいたのであけば、多くのお客様に飯山を知ってもらいたいと思います
高橋まゆみさんの製作した人形は、優しい笑顔のおじいちゃんおばあちゃんや、無邪気に駆け回る子ども、農村の村人たちなど、まるで生きているかと思えるような風情ある人形は遠い昔を呼び起こし、温かい気持ちになることと思います。映像コーナーでは、普段は見られない高橋さんの人形の製造過程を見ることができます。
展示物・人形は年に2回入れ替わります。高橋まゆみ人形館HP

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いいやま仏壇の町と飯山城の関係

上杉謙信が信濃侵攻の戦略拠点として築いた城で、現在は復元された門や土塁、石垣などに当時をしのぶことができます。階段式に郭を配した「後堅固の城」で、12年間の合戦にも信玄は攻め落とせなかったと言われています。その後、上杉から武田へ、さらに織田、再び上杉へと、めざましく変わりました。飯山城は飯山を代表する桜の名所でもあり、4月下旬から5月上旬にかけて、飯山城址さくらまつりが開催され、同時に水仙の花々が咲き誇る憩いの場所として賑わいます。

飯山城は、北信濃の豪族・高梨氏の属城であると共に上杉氏にとっての信越国境の関門を守る重要な城であったため飯山城を拠点にした本拠地とし、のちに川中島の合戦をめぐる争奪戦での越後軍の後詰部隊が駐屯した場所でもあります。
飯山城の立地は千曲川を経由して越後妻有へ通じ、さらに飯山街道(現在の国道292号に相当)を経由して直接越後府中に通じる交通の要衝でもあったことが大きく飯山以北の北信濃は事実上、上杉領国に組み込まれるとともに、信濃の国人領主であった高梨氏も次第に上杉氏の家臣団に組み込まれていきます。ちなみにあの有名な直江兼続の母は信濃の泉氏出身とのことですので、おそらくはこの飯山城主であった泉氏のことと考えられます。

古の歴史には、まだまだ解明されていない事も多く想いを馳せて歩いてみると書物からしか学べなかった事が自分の目を通して新しい発見へと繋がります。飯山城はその背後に千曲川を控えた要害の地であったことや周辺の支城群の存在などもあって、武田勢苦戦した城と伝えられています。

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蒔絵・彫金

蒔絵・彫金代々金具職人を継ぐ鷲森氏は、飯山の伝統を広く知ってもらうため、彫金技術を活かしたアクセサリーやしおりなどの制作・販売を行っており、一般の方への体験できる機会を設けています。
体験では、たがねという彫金道具を使い、細かなリズムで蹴りつけるように銅版に模様を刻む「蹴彫(けりぼり)」という技法を学びご自身でネックレスなどの好きなデザインで作ることができるので、女性に大変な人気となっています。個人の場合は、体験時間はしおり1時間半、指輪2時間、ネックレス3時間ほど。彫金の説明をしながら丁寧に教えてくれるので、初めてでも安心して参加できます。

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